純情少年、暴走中。

私はこの一年で何を得ただろうか。結論、私は何も得られなかった。これは勿論、実質的意の指す得たモノがなかった1年であったということではない。社会的に、である。

人生においての何かを得るということは、それからの人生に多大な影響を及ぼしかねないことでもある。良い意味でも悪い意味でも解釈し得るだろう。本人の経歴、実績に泊を付けたことと同義でも捉えられる。逆にそれを得たことによって人生的に見れば失敗に終わる事だってありえる話だ。現代経済は一世紀前に比較しても波だったりがとにもかくにも速い。例えば30年前、学生人気ランキングで上位をキープしていた大企業も今では凋落しているなんてことはザラにある。現代では何でもかんでもデジタル化が進んでしまったため一秒刻みで経済が次の時代へと向かっている。

我々、若者はこの現代日本経済の推移・潮流に敏感に、そして柔軟に対応することを求められている。いつまでも同じ仕事を個人の能力欠陥のために続けていられるような甘い世界ではないのだ。学習能力、実力がない者は棄てられ新加入した個人を試す、この連続だ。大手大企業も大量採用をいまだに継続しているのは多くの人間は使えないことを織り込んでのことである。我々は就職氷河期と呼ばれるこの時代を四苦八苦して乗り越え、漸く職に付けたと思えば、次は実力主義の社会にもまれしごかれることとなる。甘ったれた口だけで行動が伴わない野郎には社会は一銭も払ってくれない。しかし、しのごの言わず働いても対時間、責任に伴わない給料を貰うばかりの現代である。決して高望み、強請り、不満を言ってはならない。下には下がいると考えて、より一層謙虚に、そして献身的な労働を求めらる。

そんな社会でどのようにすれば認められ、実力を有する一個人として認知され、そして適応していけるだろうか。
多分「コレ!!」と言った絶対的な解決策はない。結果論として上手くいったねよかったね、という話ばかりであると思われる。何があるから良くて、何がないからダメということでは恐らくない。一個人としてその他一般の学生と比較されたとき、やっぱり売りだったり、得意分野やこれを頑張ったんだ!!と言い切れることが折り重ねって初めて学歴と人間性、そして御社(笑)に対する熱意を総合判断し、やっと採用、内々定まで及ぶことが出来得るのだと私は思う。

そのために何か始めたい自分と今現在取り組んでいることに積極的になり真剣に向き合い結果を求める私の2人が私自身の中に存在している。

一体わたし、これからどうなっちゃうだろう。(穂乃花 大人版)