社会の資本、パイを如何に自分に配当させるか。

周知の羞恥事実であるがわたしは低学歴だ。しかしながら唯一の救いが有名大学であったことだ。こうして約21年間、人間として人間らしく理性ある生活をしてきたわけだが、わたしが出会った人間の中で有名大学以上に通うことができた者は五萬といるような気がするが、案外そうでもないことに気付く。
しかし、それでも優秀な学生は日本に五萬といて、大企業から欲するままに大概は流れる。頭の良さなど当初(小学生の頃、いや、親から言わせると赤ん坊の頃)からゴミクズレベルであったわたしだが、結局、知的好奇心が漸く開花開眼し結局、浪人してまで勉強したので多少なり並の教養は付けられたはずだ。だからこそ大学にいる期間くらいは優秀な学生と同等の教養へと昇華する事を誓い、今も励んでいる。
こう俯瞰してみると恵まれた幸福世界にいることが理解し得た。
ただ言うなれば親にはもっと私に違う世界を見せるべきであった。というのも見識を深め他では得られぬ事物を得られ得るからである。
大概の優秀者は自発的に自然に学習能力が高くいつの間にか勉強が得意であったため、それなりの好成績が残せた人もいれば、親の経済力と判断でもって成功を収める人もいるだろう。
しかし、やはり親の教育と判断が鈍ればどうしても子はうまく育たない場合が起こり得る。何が悪かったのか、そして失敗から成功を導くプロセスを考えられ得る教育ができず、どうしても中傷したり怒鳴り散らし、挙句の果てには暴力を奮う親もいる。そう。私の親だ。
私の親は大企業のお偉いさんで学歴も社会的に見ればまあまあ、そして文武両道を成功させ就活では完全勝利で終えた人間でもある。そんな人間でも子のこととなると立ち振る舞いが一変し、何か道外れた人間に怒るが如く叱ってくる。誰もが教育をうまくできないことをよくよく感じられる事態、事案であった。
高校で出会った仲良き友人がこんなことをつぶやいていた。
f:id:haretas:20140716025052p:plain
まったくその通りである。

そんなこんなで意味もわからずこんな感じに育った私だが、結局、今の自分には一体何ができるかと色々考えた挙句、私の夢である総合商社就職か、今やっている塾講師も相まってか教育関係、そして国家公務員かで迷っている状況だ。どれも魅力ある仕事でやり方と要領次第では益々人間としての価値を上げられるような仕事だ。その中でも可能性が一番高いのは教育関係かな、と考えたが、しかし、小中高校で勉強を教えたところでは自らの人間力が高められないと結論づけ、なるならやはり格式高い大学教授でなければ、というそれまた良く分からない理屈が自身の中で成立していた。
さて、将来何になろう。そもそも私に選択権など与えられているのだろうか。問題はそこに戻る。