はじめに。

日常生活の中で色々な経験をした際に起こる感情を何かの形で残しておきたかったので、定期的にあったことを話す(書き記す)場に出来たらと思う。
※何かと不備があると思うけれど、そういう時は優しく指摘してくれるとありがたいです。

「やり残したことをおちゃらけ仮面浪人で消化してみて」
この一年、文武を両立しての受験勉強だったため、うまくいかないことも多々あったが、今ではそれは逆に良かったと感じられる。
大学入試後期試験のことである。私は志望大学であった早稲田大学の合皮案内を電話で聴いたところ無機質な音声が「あなたの受験番号は〇〇〇ですね?…………残念ながら不合格です。繰り返します。残念ながら不合格です。これで合皮案内を終了します。」というのを何度も何度も耳にし気が滅入っていた。「あんな一生懸命に頑張ったのに……。」それだけを何度もボソボソと呟き布団に篭る日々を送っていた。そんな私を見てか後期入試を行っている大学をインターネットを通して母親に探し出され、渋々私は願書を届けるため専修大学日本大学に行くことになった。嫌で嫌で仕方がなかった。けれど落ちた責任は全て自分にある。だから、ここは親の負担を減らす意味でも受けなければならないと思った。幸い九段下駅近くのみずほ銀行で払い込んだため、その地点からすぐそこにある専修大学に先ず受験票を届けに行った。受付のある教室に到着し、親の書いた受験票を提出し審査を受けた。しかし、鉛筆でマークする箇所をボールペンでマークしていたため担当のジジイに叱られ、別教室で書き直しを要求された。「なんなんだよ。おれは嫌々ここにいるんだぞ。なんならこんな大学なんて受けなくてもいいんだぞ(ブチッ)」と不意に思ってしまった。それがまだ声に出ていないだけまだましと言える精神状態だった。別教室に移動していたところ、通路の向こうからやってきた事務のお姉さんに「ボールペンでも構いませんよ!」と言われ、漸く受験票が受理された。後に母親に聞くと大学へ直接連絡を取りボールペンでも可ということを聞いていたようであった。
やっと一校目。次に日本大学へ向かった。しかし、ここからが闇であった。意味のわからないことに総武線で水道橋駅から御茶ノ水駅まで行き降りるが、そこでぐるぐるしているうちに急な坂で有名な男坂まで来てしまった。印刷した地図は周辺の建物などろくに示されておらず迷子になったのだ。歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩き続けて上智大学のある、かの地までやって来てしまった。やってしまった。私は時間に追われていた為焦った。というのも願書の受付が確か17:00くらいでこの時16:00近かったからだ。私はタクシーを使って受付のある建物まで連れて行ってもらおうとした。しかし連れてこられたのは違う建物で、また歩く羽目になった。この時、他人を頼るもんじゃない、頼れるのは自分自身だけだと知る。最終的に目的地には辿り着くが、そこには大勢の人が並び願書の受理、そして受験票を手渡されるのを今か今かと待っていた。その様子は異様であり、収容されていた野良犬が放たれ、そこかしこに群がっている様であった。結局二時間待たされたが、同じく願書を提出しに来た男子高校生の母親と雑談していたためそこまで長くは感じなかった、気がする。
病院で入院していた私が心配で仕方ない母親に無事に提出出来た、しかし受かる気はないと連絡し、東京をあとにした。後にこう思った。「頭が悪いと願書を提出しに行くだけでも苦労し、願書の提出時間を過ぎて結局提出できず試験をやる前に落ちるかもしれないというようなヒヤヒヤを味わう羽目になるのか……」と。

結局、入試の方は直前2週間全く勉強せず、ソシャゲを布団にこもって、当日、初見の入試問題であったが適当に終わらせ結果を待った。見るまでもなかった。満点以外にはありえない実感を得ていたからである。試験時間は三分の一で終わる始末。「おれのこれまでの入試は一体なんだったんだ」、そう思った。こうして未練たらたらで終わった大学入試(2回目)。

そこから一年。色々なことがあった。目まぐるしい日々だった。受験の決意から書類の手続きなど当然のことながら自分の手で済ませ無事今月の17日に慶應義塾大学経済学部の受験を終えた私は小さな成長を感じた。自分という人間は余裕を持って行動できるくらいでないと何も得られないし、キャパ以上のことはいくらやってもうまくいかない者(人間)だと思った。これまで幾度となく失敗し続けてきたじゃないか何を今更。